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UFOと免罪符(雑感)

■知り合いがちょっぴり調子をおかしくして病院に入って考えた。

馬鹿は馬鹿なりに体験をもとにちょっと考えてみました

自分はSFとかファンタジー系の物語が好きで                             (「物語」とフィールドがザッパな所を汲んで欲しいのですが)

「UFO」「チャネリング」等について、それぞれには多少興味があり調べたりもした事はあります。                                         

 でも、それらがいっしょくたになると急に変な反応が起きて「生と死」「精神世界」に結びつき、    「メンヘル」とか「躁鬱/精神の病/陰謀説信仰/シンクロニシティ」みたいな連鎖反応に              なだれ込むのには辟易しています。

 過去に幾人か心の調子が悪くなった人と接したり遭遇した事はありましたが、

「自分の望む環境/自身の状況」になれない時、その場から逃亡できないまじめな人が            (不真面目と言うか、心に余裕のある人はサボったりケツまくったりする)                    現在の環境に手段無く立ち向かおうとする時に                           (能力的に不可能/道筋をショートカットしすぎている時など)

自分の能力以外の部分で、自分の努力では解決できない障害物として、                                自分の中に様々な障害を作り出してしまうんじゃないかなという感じを持っています。

もちろん、嘘をついているとかサボっているとかいうのとは全く別の意味で。

■心の病気の症状で「UFO/チャネリング/精神世界」を語る人の場合

「UFO」は宇宙人や未来人の道具として昔から重宝されていたし、「チャネリング」は降霊術をはじめさまざまな物語の道具立てとして役に立ってきたりしました。

その真贋はともかく、そういった物を現在の価値観や身の回りの人物と自分を差別化する手段として使用する傾向がある場合、それが心の逃げ場になるのは良いのですが、悪くするとその人の存在意義に近づいてしまう危険性があるように思われます。

 

(この辺また書き足しますが。)

 

「UFO」の存在を隠している世界の陰謀→チャネリングによってもたらされる情報→精神世界の存在    →精神世界を解放して真の事実を知るべき (かなりざっぱな1例ですが)

とか言う脳内マトリックスな流れは、本当に追求したいと願うのであれば、「世界の陰謀」を知るために政治家や海外機関にアプローチして調査したり、金貯めて政治家になって乗り込もうみたいな壮大な計画で努力しないといけない所だと思いますし、(いろんな意味で楽しめそうですし)精神世界を研究するなら、科学研究と平行して「精神とは何か?」から徹底的に自分で研究するべきでしょう。

そうはならずに「なにをやっても無駄な世界」「世界で本当の事実に気づいているのは自分(たち)だけ」 みたいな、一昔前の小室ファミリーやセカイ系のフレーズに落ち着いてしまう。

「この本を読んで。この辺まで知っていて語れればOK」みたいなガイドラインがあるらしい。

それを指摘すると、

「お前○○や○○読んでないだろう?!」                           「○○(学者)や○○(有名海外ミュージシャン/アーティスト)たちの事を勉強した事があるのか?!」 と言う反応。

そう、サブカルの定番として、「そういう悩み」はポーズとして確立している。     

そして、そういった激昂は発作的な反応の時に現れるので、記憶していないか無意識下に消去されている。 なぜそう言えるかと言うと、そういった激昂の発言の直前の言動は後から話の脈絡として記憶しているのに、そこだけ覚えていないと言う。

上記の反応や話をしてみて総合的に思うのは、

「UFO」や精神世界は、本当に心酔して追求する対象ではく、                      自らの状況の不安定さを周囲の環境に認めさせるための免罪符にされているのではないかな。

「『UFO』や精神世界の深いところを知っている自分だから、そう言う所を突き詰めてゆくと現在の生活や現実に対応する事が出来ない。自分は知ってしまっているから。

この話を突き詰めようとすると、シンクロニシティや自傷願望等の話題をぐるぐる巡回し始めて、     最終的に私の人生否定と人間としての価値の低さの弾劾を受けてしまうので(いや、その的を射ている事と言ったら/笑)自分も泣き出してしまうのですが。

映像を作りたいと願って造形したりイベントをしている自分ですが、そのために営業活動や生活がおろそかになったりする場合があります。

そう言う時には「本当は映画をやりたい。そのためにはしょうがない」とか考えて愚かな言い訳(笑)にして自分を慰めます。この場合の免罪符は「映画」です。(単に『言い訳』ですね/笑)

ベストの状況・・例えば一気に金持ちになって仕事が順調にいった上に、自らが望むままの社会的認知を得たら、相当に状況は改善すると思う。障害は多分純粋な躁鬱のみになるかなあ。

 

それ以外の解決策を望んでいないから、免罪符が必要なのかもしれないと思ったりします。

 

もちろん、上記の言葉は重く自分にものしかかって来ているのは間違いない。

(注/あくまで思考経路についての自己分析です。個人や対応策に関して何ら言及する物ではありません。)

PS /上記の状態に落ち込んでも許される状況は、有名になってお金持ちになる事なので(ルックスが良いとさらに良)

(実際有能な人に多い病状だし)こういう事で悩むために、まずお金持ちになる必要がありますね。

私もともすればネジが外れる傾向があると自分で感じているので、

家族や身の回りに迷惑をかけずに免罪符を買い込んで一生遊べる身分になれるよう、自分もがんばらないと。